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半谷 学 展 開催中です




 10年前の3月、人が作り出した静かな毒は波に揺さぶられて空に漂い彼方まで拡散して地球に降り注いだ。私はその日、偶然にも同じこの画廊で個展を催していた。港町の悲鳴のようなサイレンが今も耳に残る。美術が人のためにできる何かをずっと探している。


 街は忘れられた傘や見捨てられた傘で溢れている。水が豊かな国であることに感謝をず、わずかな時間でさえ雨に濡れたくないために安価な傘を買って降り止むと捨てる。忘れた傘の在りかがわかっているのに面倒だといって引き取りに行かない。傘は大切にされることがないまま廃棄物となって人の視界から消えてゆく。その行方を気に病む人がいなくなれば社会はどうなってしまうのだろう。すべてのものは地球の瘡蓋(かさぶた)でできているというのに、、、。


 多くの人に声をかけて壊れた傘を譲ってもらった。また、美術館、学校、病院などの公共施設から、放置傘として処分されるものを収集した。傘を分解すると人知に溢れた構造と愛に満ちたデザインをしていることに気がつく。これが毎年各地で大量に葬られていることを考えれば地球の無念さが心に響く。私は捨てられる運命だった傘に加えて、劇場の舞台裏で役目を終えた古い麻製ロープや、牡蠣養殖で邪魔になった海藻といった特殊な廃棄物を美術素材として蘇らせながら、捨てられたものが抱える負のイメージを美のイメージに変える試みを続けている。地球の声を聞いてほしい。


 静かな毒が降った10年前の日、命あるものは驚き慌てたに違いない。私はなすべもなく過ごした時間を忘れない。それは地球が自然という傘で毒の雨から命を守ってくれた時間だったように思う。慈悲深い地球はこれからも悠久の時の中で自身の浄化能力で毒を分解し、再び健康な自然を蘇らせてくれるのだろう。私たちは地球に甘え過ぎている。過ちを自責してもっと自然に敬意を払い、万物を尊重し、地球で生きることの本質を取り戻す時期にきているのではないか。生物の種の寿命は短く脆くて儚い。


令和3年3月  半谷 学

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